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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)6325号 判決 1972年2月17日

原告 石井晴子

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 紺野稔

同 塚田秀男

被告 株式会社脇田建機工業所

右代表者代表取締役 脇田正次

右訴訟代理人弁護士 大蔵敏彦

同 渡辺正臣

主文

一  被告は、原告石井晴子に対し金七〇七、〇三三円を、同石井友良に対し金八一八、二一七円を、右各金額に対して昭和四四年六月二六日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を附加して支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は三分し、三分の一を原告らの負担とし、三分の二を被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告石井晴子に対し金一、五三五、七二六円を、原告石井友良に対し金二、六三八、九三二円を、右各金額に対し昭和四四年六月二六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を附加して支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

≪以下事実省略≫

理由

一  争いのない事実

原告晴子が訴外石井孝夫(以下孝夫という)の妻であり、原告友良は、右夫婦間の子であること、訴外孝夫が生前被告会社に作業員として勤務していたこと、訴外坂政合板株式会社が静岡県清水市鳥坂六三一番地所在同会社鳥坂工場内にある工場の屋根張替作業を合資会社三浦鉄工所に注文し、後者がさらにこの作業を被告に注文したこと、孝夫が被告の従業員として右作業に従事中、昭和四三年五月一二日午前一〇時四〇分ごろ屋根から真下の工場内に転落し、同日午後〇時五五分清水市内所在の桜ヶ丘病院において頭蓋底骨折等の傷害により死亡したことは当事者間に争いはない。

二  事故発生の状況

そこで被告に過失があったかどうかを判断するため、まず、作業の内容、事故発生の経過について検討する。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

1  事故発生にかかる屋根張替工事がなされた工場は前記鳥坂工場内にある床面積約二、五〇〇平方メートル、棟高約一〇メートル、軒高約六メートルの鉄骨造りの工場で、被告が請負った工事内容は、同工場の屋根のうち、チップ乾燥装置の二本煙突が突き出ている部分附近に張られていた波型トタン板が腐蝕したので、これをとり外し、その部分に新たに鉄板を張りつける作業であった。そのとり外すべき波型トタンの大きさは、巾八五〇、長さ二、一五〇、厚さ八(以下単位はミリメートル、以下同じ)で、張替える鉄板は巾一、二五〇、長さ一、五〇〇、厚さ三、二、重さ三〇キログラムのものであるが、トタン板は、棟および軒桁に平行し約九〇センチメートル間隔で横に並んでいる鉄製の堅牢な母屋(「もや」と読む「もやげた」ともいう)に載せてあり、各トタン板は、概ね、その上端附近および下端附近において各六本のフックボート(止め金の一種)、その中央部附近において三本のそれによって母屋に固定され、ずり落ちないようにしてあった。しかし古くなったため、フックボートの固着する力が弱まっているものもあり、また、トタン板自体が腐蝕している箇所もあるので、作業員がトタン板に足を載せて体重をかけることは危険であった。したがって、作業員が屋根を歩く場合にはフックボートが出ている部分(その下に母屋がある)を歩く外はない状態であった。

2  作業は、被告会社の代表取締役脇田正次が被害者孝夫を含む同会社の従業員四名を指揮して事故当日である昭和四三年五月一二日朝から始められ、まず用意して来た鉄板数枚を滑車で屋根に引き揚げ、足場板(巾約三〇センチ、長さ約五メートル)を使ってすべての鉄板を添附の別紙図面の(イ)点まで運んでおき、そこから鉄板を四人でその四隅を持って、一枚づつ順次張替える場所まで運んで張替えたのであるが、同図面中Aの上部、その下部およびBの下部の張替えを終り、Bの上部を張替えようとする段になって本件事故が発生したものである。

3  事故発生時の状況についてみるに、一枚の鉄板を同図面の(イ)点から(ロ)点に搬び、(ロ)から(ハ)に移動した際、鉄板の(D)の一隅を持っていた者が孝夫であり、同人は後向きの姿勢で進んだため、過って母屋から足をふみ外し、トタン板のうち図面甲乙丙の三本の母屋に支えられているトタン板のうちの(ニ)の附近に足を載せて体重がかかった際右トタン板の下部がはね上り、そのトタン板と共に右(ニ)の点から真下の工場内に落下し、同人は同工場内の風導管やコンクリートの床等に頭部その他を打ちつけ、前記致死の傷害を負うに至ったものである。

4  なお、前記トタンが何故落下したのか、その原因について考えるに、落下したトタン板の下端部分(母屋丙との接触部分)のフックボートは張替作業の手順として予め作業員によって外されてあり、その上端部分(母屋甲との接触部分)は初めからフックボートでは止めてなく、その部分は母屋甲の場所に重ねて張られてあった他のトタン板の下端部分(この部分は母屋甲にフックボートで固着されていた)と母屋甲との間隙にはめこまれていたに過ぎなかった。しかも、このことは、脇田正次はじめ他の作業員は、事故当時は気がついてはいなかった。また、落下した鉄板の中央部分は乙の母屋と三本のフックボートによって固着されていた筈であるが、どういうわけかそれも外れていて前記トタン板を固定する役をなさなかった。そのような具合だったので、孝夫が(ニ)点に体重をかけた際、そのトタン板の上端部分(はめこまれていた部分)がずれて外れ、その下端部分がはね上って真下に墜落したものである。

以上認定のような状況下で事故が発生したことが認められる。

三  過失の有無

脇田正次は被告会社の代表取締役であり、前記のように被害者孝夫ほか三名の従業員を指揮して前記作業にあたっていた者であるから、同人が事故発生を未然に防止する注意を怠ったかどうかということが、被告会社に過失があるかどうかということの決め手になる。なお、同人が作業実施中に被害者孝夫を含む作業員全員に対し、「母屋から足をふみ外さぬように気をつけろ」と再三注意していたことは、前記各証拠によって認められ、他の作業員は、右注意を守り、墜落等の事故が発生しなかったのに、ひとり孝夫だけが、不用意に母屋でない部分に足をふみ外し、墜落するに至ったのであるから、同人に過失があったことは明らかである。問題は孝夫をしてかかる過失を犯させたことにつき、被告代表者脇田正次に過失がなかったか、あるいは、他に安全な作業方法が考えられなかったかどうか、ということである。

前記認定によれば母屋の上の部分を歩かないと危険であり、母屋のある部分はフックボートがトタン板の上に突き出ていたので、一応見ればわかるのであるが、前記のように張替え用の鉄板は重量三〇キログラムもあって四人でそれぞれの一隅を持って運ぶのであり、ときには四人のうち一人もしくは二人は後向きになって進まなければならぬこともあり、加うるに母屋と母屋との間隔は約九〇センチメートルもあるのであるから、特に棟から軒桁の方向に、すなわち上から下に向って移動するときには、後向きの形で歩く者は母屋をふみ外すという危険性が十分考えられたのである。現に前記認定によれば鉄板を滑車で引き揚げた後別紙図面(イ)の地点まで運ぶ場合には、脇田正次は作業員らに足場板を使用させて安全を図っていたのである。孝夫が落下した地点附近における作業について脇田正次は代表者本人として、「そこは、足場板を使用することが作業上不便であり、困難であった。」旨供述しているが、≪証拠省略≫によれば、その場所で足場板を使うことは、不便であるにせよ、決して不可能ではなかったと考えられ(もっとも、作業員らが使用していた足場板自体は、前記のように、あるいは長すぎるため別紙図面の煙突AB附近の作業に際しては不便困難を感ずるかも知れないが、そのような場合には、適当な長さに切って使用する途もあったと考えられる)、もし、脇田が人命の貴重であることを考え、事故防止のために足場板を用いる作業方法をとっていたなら本件のような事故は発生しなかったものと考えられる。したがって、同人が被害者の落下地点附近で足場板を使用しなかったことは、現場における作業指揮者としての注意義務を欠いたものと認めるのほかはない(ちなみに、≪証拠省略≫中の指導票によれば、足場板の使用のほか、防網の取りつけや命綱の使用についても示唆しているが、検証の結果によれば本件事故発生現場においては、屋根の下に防網を張ることは事実上不可能に近く、また本件作業のように移動する作業の場合には命綱は作業に困難を来たすので適切ではないと考えられる)。

したがって、本件事故は被告の過失と被害者孝夫の過失とが競合して発生したものと判断される。そして、前認定の諸事実と弁論の全趣旨とを総合して考えると、その損害分担の割合は平等負担すなわち、全損害額の半額を被告に負担させるのが公平な割合であると考えられる(過失相殺)。

四  損害額

そこで、つぎに孝夫の本件事故による死亡のため原告らのこうむった損害につき考える。

1  原告らが相続した逸失利益

≪証拠省略≫を総合すると、

(イ)  孝夫は昭和六年三月七日生まれ(事故当時三七才)の健康な男子であること

(ロ)  同人は昭和四二年九月ごろ被告会社(従業員五名)に就職し、一般鉄綱の先手の仕事(熔接したものを削ったり、穴をあけたり、物を運んだりする雑用的な仕事)をし、日給一三〇〇円から一四〇〇円程度を受け、月に四万円程度の収入を得ていたこと(この点に反する原告本人(晴子)の尋問結果の一部は信用しない)。

(ハ)  同人は家族と離れて、清水市内で生活していたことが認められる。そして健康な三七才の男子の平均余命数は三三・七一年間であることは当裁判所に顕著な事実であり(厚生省発表第一一回生命表参照)、また、孝夫の従事していた職種における稼働期間は概ね六三才位までと考えられるから(ちなみに、運輸省自動車局保障課編「政府の自動車損害賠償保障事業損害算定基準」―昭和四四年―によれば、就労可能年数は、六三才までとされている)、同人の稼働可能年数は、死亡当時を基準としてなお二六年間残っていたとみるのを相当とする。

ところで、同人は家族と別居して生活していたのであるから、その同人の一ヶ月の平均生活費は、その収入に年令、住居地などに照らし(ちなみに、総理府統計局全国消費調査によると、昭和三九年度において、一ヶ月四〇、〇〇〇~四四、九九九円の実収入のある単身者世帯の一ヶ月の実支出は、平均二九、三九七円である)、同人の収入の七〇パーセントにあたる二八、〇〇〇円であると推定される。したがって、孝夫の一ヶ月間の平均純収益は一二、〇〇〇円となり、年間では一四四、〇〇〇円となる。そこで右金額を基礎としてホフマン式(複式)計算法により年五分の中間利息を控除して二六年間における純収益の合計額を死亡時における価額で算出すると、二、三五八、五〇〇円(百円未満切捨)となる。したがって、孝夫は、本件事故死により同額の損害をこうむったこととなる。そして前記過失相殺により、その半額にあたる額を求めると、一、一七九、二〇〇円(百円未満切捨)となる。

原告晴子が孝夫の妻であり、友良は二人の間の子であることは当事者間に争いなく、≪証拠省略≫によれば、孝夫には他に子供のないことが認められる。したがって相続により原告晴子は前記逸失利益(半額)の三分の一にあたる三九三、〇〇〇円、原告友良はその三分の二にあたる七八六、二〇〇円をそれぞれ承継取得したことが認められる。

2  原告らの慰藉料

≪証拠省略≫によれば、原告晴子は昭和八年三月一二日に生まれ、昭和二八年六月に孝夫と結婚し、原告友良は、昭和三三年一月三一日生まれた男子であることが認められる。

そしてそれぞれ本件事故により夫を、そして父親を失ったのであるから、孝夫の事故死によりこうむった精神的苦痛は極めて大きいものというべきである。

被告は、孝夫が静岡県清水市で他の女性と同せい生活を送っていたから、原告らに精神的苦痛はないはずであると主張するが、たとい、一時そのような事実があったとしても、正妻であり、嫡出子である原告らの悲しみは察するに余りあるのであり、右主張はとるに足らないものと考える(ちなみに後記認定のように孝夫の葬式は原告晴子の郷里で行なわれている)。そして前認定のすべての事実を考慮し、前記過失相殺を斟酌して検討すると、右各苦痛に対する慰藉料としては、原告晴子につき金六〇万円、同友良につき金三〇万円をもって相当額と認める。

3  原告晴子の支出費用

≪証拠省略≫によれば、原告晴子は、夫孝夫死亡のため次のような支出を余儀なくされたことが認められる。

(1)  葬儀費用 一二九、一〇〇円(原告晴子の福島県の実家で行なわれた)

(2)  新盆費用 二〇、〇〇〇円

(3)  一年忌費用 三、〇〇〇円

そして、右の(1)から(3)までの合計額は一五二、一〇〇円であるところ、右支出は、右費目および支出額に徴し、いずれも本件事故と相当因果関係を持つ損害であると解する(右(1)ないし(3)の各項目についての原告主張額は右認定額と異るが、その総額において一致するので、本件の場合、右認定は適法のものと考える)。そして、前示過失相殺を斟酌すると被告に賠償を請求しうる損害は、その半額の七六、〇五〇円となる。

しかるところ、原告晴子が、労働者災害補償保険から葬祭料として金七〇、〇〇〇円を受領したことは当事者に争いのない事実であるから、この額を右損害額七六、〇五〇円から差引くと、残額は六、〇五〇円となる。なお、被告は孝夫の死亡地である静岡市内の火葬等の費用として五〇、〇〇〇円を支出したと主張し、右は原告代理人において明らかに争わぬところであるが、前認定の葬式費用一二三、一〇〇円はその後原告晴子の郷里で行なわれた葬式の費用であるから、被告の右出費は斟酌することはできない。

4  香典六〇、〇〇〇円について

なお被告が孝夫の死亡直後原告らに香典として六〇、〇〇〇円を贈呈したことについては、原告代理人において明らかに争わないから、これを自白したものと看做す。しかるときは、右六〇、〇〇〇円は、まず原告晴子が支出した前認定の葬祭費残六、〇五〇円に充当し、その残余の五三、九五〇円は原告両名の慰藉料にその認定額の割合に応じて充当するのが適切であると思料される。しかるときは、原告晴子の慰藉料への充当額は三五、九六七円となり、同友良については、一七、九八三円となりこれらを前認定の慰藉額からそれぞれ差引くと、結局、被告が支払うべき慰藉料の額は、原告晴子については五六四、〇三三円、同友良については二八二、〇一七円となる。

5  遺族給付

原告晴子が労働者災害補償保険から遺族給付として金五〇〇、〇〇〇円の受給を受けたことは当事者間に争いのない事実であり、右は公平上原告両名に折半して、その二五万円づつを被告が支払うべき前認定の逸失利益の額に充当するのが妥当であると考える。しかるときは、被告が支払うべき逸出利益の額は、原告晴子について一四三、〇〇〇円、同友良について五三六、二〇〇円となる。

6  最後に、

原告晴子が被告に請求できる損害賠償額は、結局七〇七、〇三三円となり、同友良については、八一八、二一七円となる。

五  むすび

以上を総合すると、原告らの請求は原告晴子の請求中金七〇七、〇三三円、同友良の請求中金八一八、二一七円および右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和四四年六月二六日から各完済に至るまで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊東秀郎)

<以下省略>

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